ここ最近、近所で解体工事とマンション・アパート建設が始まっている。解体工事は家の隣だったり、朝の散歩道だったりで日々建物が解体されていく姿を見ていた。
隣家すでに空き家になっていたようだし、垣根や植木は伸び放題という感じで家というのは人が住まないと荒れていってしまうものだなとつくづく感じた。
少し歩くと限られた区画に対してマンションが高く高く作られている。工事の頂上部分には重機が設置され上下左右に首を振りながら仕事をしている。あんなに高いところで重機を操作するのはどんな気分なのだろうか。
時間の経過とともに老朽化し、本来の役割を終えて解体されてゆく。そして新しいものが造られていく。町における新陳代謝みたいなことであろう。
古いものが良いものばかりとは限らない。悪影響を与えてしまうこともあるだろう。それらは必要に応じて変わってゆかねばならない。
人間の力では到底壊すことできない物体を機械が次々と壊していく光景は非日常的に写る。それら写真に収めながら、人間の価値観も同様に、古くなったら解体し再構築していかねばならないと考えるようになった。
歳を重ねて積み上げきた価値観は良くも悪くも身体に染みついてしまう。頑固な油よごれのようにこびり付き、なかなか正すことができない。間違った考えや価値観を持ったままだと老害などと称されることになる。
人間、大人になってから考えや価値観を変えるためにはある程度の意思の力が必要だと思う。例えば酒・煙草・男女関係・ギャンブルといった身体的、精神的な依存は何かきっかけがないと脱却するすることが難しい。
時に、外的要因で変わることもある。結婚や死別、失職といった出来事を通じて好転する場合もあれば悪転することもある。
これから先、何処に住み、何を食べ、誰と一緒に過ごすかで価値観も変わってくるだろう。しかし、本質的な問題は自身の中にある。自分を変えるのは他者ではなく自身でしかないのだ。人のせい・社会のせいにしてもどうにもならない。
良い意思を持ち、古くつまらない価値観などどんどん解体していけばいい。