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リアルとイマジネーション

OLYMPUS OM-D E-M5 Mark II
1月はほとんどの時間を自宅で過ごした。会社へ出勤したのも1度きり。全て在宅勤務で自宅デスク前でほとんどの時間をすごした。
リアルでの人との会話は妻を除いてほぼなかった。リモート会議での打ち合わせになり、コミュニケーションは全て会議資料と音声データに置き換わった。顔色をうかがうようなこともなくなった。

OLYMPUS OM-D E-M5 Mark II雑談はなくなり、ちょっとした連絡はメールとチャットになりテキスト化された。僕はもともと口数が多い方ではない。生活が変わったことでますます口数は減ったように思う。それで何か困っているかというと、リアルでなければいけないという事態ではないので、大人しくすべき種別の人間だと考えじっとしている。

SONYα7Ⅲ通勤がなくなったので今年から仕事前に散歩を取り入れている。カメラを持ってほんの15分くらいだが、散歩しているだけでも少し気が晴れる。はじめは撮るべきものなんてないだろうと思っていた。そんなことは無い。外の世界は連続する時間の中で姿を変えている。日常の変化を写真に収めている。

SONYα7Ⅲ写真には時間の連続性が存在していない。その非連続的な特徴が写真の中の世界観を際立てているのだと思う。そんなことを散歩しながら考える。
写真はリアルから時間の連続性を切り取った一部に過ぎないが、一枚の写真にするにはイマジネーションが必要だ。コピーをオリジナルにする。オリジナルにするには想像しなければならない。想像の源泉は風景などの視覚的情報である場合もあれば、本やWeb上のテキスト情報であることもある。

SONYα7Ⅲあまり選択肢が多いというのは良くない。選択するにはエネルギーを多く消費するし、間違えることもある。限られた状況、そして選択の手段が限られているという方が深く考えることができるはずだ。きっとそこにはイマジネーションの種が眠っている。
水が流れるように軽やかに生きたいが、僕の性格上、汗をかきながら炭坑夫のように泥臭く進むことしかできなさそうだ。

SONYα7Ⅲ
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