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自由とは不自由を伴うもの


OM-D E-M5 Mark II / LUMIX G 20mm / F1.7 II ASPH.
自由にやっていいよと言われると急にどうしていいのかわからなくなってしまうものだ。
ぽつんとどこかに投げ出されたような気持ちになる。

便利な世の中になったものでググれば大抵のことが調べられる時代だ。オリジナリティなんて見つけるほうが大変だと思う。

自分のちっぽけな頭で考えた妄想など、すでに誰かがやっている。既視感ばかりが目についてしまい、情報過多の中で自分で考えることをやめてしまう。

そうやっていつしか、オリジナリティを追い求めることもなくなり、それが日常として過ぎ去っている。


OM-D E-M5 Mark II / LUMIX G 20mm / F1.7 II ASPH.
さて仕事においては、ミスをしない、これまでと同じやり方を踏襲して同じような結果を残すことがまずは求められる。自由を得るためには不自由を乗り越えなくてはならない。
決まったやり方を覚え、ミスを起こさないようにすることが大事だった。少なくとも僕はそんな20代のサラリーマンだった。

30代になり仕事においては少し自由を得ることができた。
新しいことを実践することを求められたし、結果を残せれば手段は問われなかった。
自分なりに試行錯誤しながら仕事をすることができたし、ある意味苦しみながらも楽しくやってこられたと思う。

しかし、またここにきて不自由が伴うようになってきている。やってきたことに対して再現性が求めれられることが多くなってきた。つまり同じ結果を残すことができる人間を作れと言われるのだ。
「いやいやちょっと待ってくれ、苦労してやってきたんだ、そんな簡単にコピーなんて勘弁してくれ」くらいは一言いいたくもなる。

しかしながら、会社という組織の中で仕事している以上、ユニークであるというのは排除されてないといけないのかもしれない。その人でなくてはいけないという環境は会社にとってリスクであり、再現性を伴わない。

ただ、みんなが同じようにできることは正しいことなのだろうか、そんな仕事でいいのだろうかと考えてしまう。


OM-D E-M5 Mark II / LUMIX G 20mm / F1.7 II ASPH.
小さいときの写真は紙に印刷されたものだった。学生時代も暗室にこもって紙の写真と向き合っていた。いつの間にか写真はPCやスマホの画面で見るものに置き換わった

印画紙にプリントされた写真の質感に触れる機会がなくなった。新しい環境で自由得るために、写真は不自由になったのかもしれない。

そんなことを思いながら、今日もカメラを持って写真を撮る。不自由の中で生きている。

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